記憶を奪われた人たちが作る社会
本屋さんで立ち読みしていたら、面白いことを書いてあった本がありました。
どんな社会をつくるか話し合う場があったとして、その場に参加するメンバーはお金持ちであったり、病気などしたことが無い健康な人であったり、また、逆に低収入で困っている人、病気で働けない人、子育てで大変な人など、様々な立場の人が居るとします。
ところが、その人たちは自分の名前も職業も、どんな境遇にいるかもすべて忘れてしまっています。
そういう状況の人たちが話し合って、社会保障の制度など、どのように設計すれば皆が幸せに暮らせるかを決めるのです。
すると、だれもがもし、立場の弱い境遇に置かれてしまっても、最低限困らないような社会を目指して制度をつくるようになるのでは、との思考実験です。その結果、恵まれている人には今より少しばかり辛抱してもらって、恵まれない人のために社会のリソースを使うようになる、とのことです。
実際の社会はどうでしょうか。
人よりお金があったり、頭が良かったり、演説が上手だったり、そういった人が政治家になって世の中を動かしています。親が政治家だったから自分も政治家になったという人も多いです。
お金が無い人や満足に働けない人、要領の悪い人などの弱者の気持ちがわからない人が社会の制度を作ることになるかもしれません。
そういうわけで、せっかく作られた弱者救済の制度なども、十分に生かされないでいたり、切り捨ての対象になってしまったりすることもあります。
誰しもいつ、病気などで弱者になってしまうか分らないのに、です。
制度をつくったりする人や政治家の人たちには、自分の属性を一旦忘れてもらって、誰もが暮らしやすい社会をつくることを目指してもらいたいものです。
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