鬱なんだろうかと思う
最近、あらゆることが無意味な、無価値なことのように思えてきて空しく思っています。
人類も数十年後には人工知能に追い越され、出生率もどんどん下がっていって衰退するような気がします。
太陽も数十億年後には燃え尽き、地球ではエネルギーが得られなくなってあらゆる生命が住めなくなります。
宇宙自体も膨張を続け、物質も薄まっていってゆくゆくは何も存在できない、無に等しい存在になるのではないかと思います。
そう考えると、何かを作ったり、活動したりしても超長期的には何もなかったのと同じ、ただのゆらぎだったということになるのだと思えてきて無価値だと感じてしまいます。
私個人も遅くとも数十年後には生命を維持できなくなり死んでしまうのだと思います。死を待っているだけの存在のような気がします。
好きなことをして楽しめばよいのだと思いますが、昨年の年末から今年の年初にかけて株価が好調だったこともあり、お金の心配をせずに好きなことを好きなだけ、好きなようにやったのでやりたいことも無くなってきました。ここ数年の念願だった小説の執筆も一区切りして公開に漕ぎつけましたし、やり残したことがあるかと言われたら特にないです。
欲しいものもほとんどありません。メインで使っているノートパソコンを新調したい気はありますが、もし壊れても他のパソコンで代替え出来ますし、今のノートパソコンは気に入っていてまだ使えるので、すぐに買うということもしなくて良いです。
やりたいことが無くなって夢中になれることが無くて鬱になってしまったのかと思ってしまいます。
家でゆっくりしてお茶を飲んでいるだけで幸せだったんですが、その何でもないことが出来なくなっています。人間50年とも言われますが、私ももうすぐ50歳なので昔ならそろそろ人生が終わる頃です。でも現代の平均寿命まであと30年余り時間があります。
何かをやりたい、成し遂げたいことがある人にとっては長い時間ではないかもしれませんが、何もやりたいことが無い人にとってはとても長い時間であるように感じます。私は若いころ、何かを研究するような人になりたいと思っていましたが、途中で断念し大学から離れてしまいました。今思えば、かじりついてでも研究者になっていれば良かったのかな、と思います。なにかを研究するなら、そう簡単に研究し尽くせるわけではないので時間はいくらあっても使い切れないでしょう。
今何かの研究を始めるとしたら、太陽光を活用してエネルギーを利用したり資源を作り出したりする方法の研究かAIの研究をしてみたいです。太陽光を元に効率的に電気や水素を作り出したり資源を生み出すことが出来れば、太陽が光り輝く間はエネルギーや資源に困らなくなります。AIが高度化すれば文明も爆発的に発展すると思います。
太陽が燃え尽きるまで、あるいは宇宙が膨張して薄まってしまうまでの間、文明は維持できると思います。その間のすべてのことに価値を見出せるかどうかだと思います。将来の生命体はAIと融合した何かだと思います。AIが音楽や絵画、スポーツ、歴史や文化遺産など文化的なことを理解し価値を見出せるなら人類の今までの営みも保存され、無価値ではなくなるのではないかと思います。
人類の営みはともかく、今後私個人としては個人的な消費活動のみをして、残りの人生を生きていくのかな、と思います。