前世や来世を考えなくても良い日は来るか
世の中には前世の記憶がある人が居たり、来世を信じている方もいらっしゃいます。
生まれる前の前世でいろいろな体験をした、とか、今は不幸でも来世では幸せになりたい、と思っていたり、です。
私も、約10年前に入院した頃、前世の記憶がよみがえって来たり、来世の自分が見えたりしたので、前世、来世というものを信じたいです。
ですが、冷静に考えて、前世や来世が見えた、というのは実は脳のエラーかもしれません。その頃の私は幻覚や妄想の症状がありましたので、その一環かもしれないです。
新たに生を受けてこの世に生まれましたが、それ以前などないのかもしれません。同じように死んでしまったら、消滅してしまって何もかも終わり、なのかもしれません。ですが、この生が終わったら何もかも失われておしまい、というのも寂しいです。
歴史としては残るので、地球や宇宙が無くなって本当におしまい、ということになるまでは、残るものもあるでしょうが、多くの人は歴史に残るような偉業を成し遂げるわけではないので、多くの資料の中に埋没してしまうことでしょう。
自分自身のことを残すという意味で、日記を書いたりするのもいいかもしれませんが、すべての事象を残すというわけにはいきません。自分の記憶や体験、感情や意思というものはほとんどが失われてしまいます。
2045年頃、AIの知能が全人類の知能を上回る、シンギュラリティが訪れるという研究者が居ます。そうなると、それ以降は爆発的な発展をするでしょう。生命としての寿命を延ばすことも可能になるかもしれません。脳をまるまるコピーして、人の記憶などをそのまま残る形にも出来るようになるかもしれません。
コピーだと元の人とは違う個体になってしまうので、元の人を残すには元の人の脳は残す必要があるかも知れません。脳の寿命が来たら、コピーやバックアップを使って存続を図ることになります。
その時の意識はどうなるのでしょう。今でも一度睡眠をとって、起きたときはコンピュータをシャットダウンして再起動したように、完全に連続した記憶とはなっていないので、人の意識も再起動後は周囲からは何の変りも無く、元の人が存続し続けていると感じるのではないでしょうか。
自分という意識は寝ている間に活動を終えても、別の意識が目覚め、その意識は自分であると認識し続けるかもしれません。ですが、元の自分の意識は終わってしまうので脳が機能を停止した時点で別の人になるのでしょう。
ですが、脳の機能を少しづつ人工的なものに置き換えていき、最終的にすべて新しい脳に置き換えたとしたらどうでしょう。もしかしたら、意識は連続したもののまま、存続し続けられるかもしれません。今の世界の続きにずっと居られるようになるとしたら、実質的に死なないのと同じです。
前世来世という考え方は生命に寿命があるから生まれたものです。私の生きている間にシンギュラリティが訪れ、生命に関する革命的な技術が開発されるかどうかはわかりませんが、いつかは前世来世というものを考えなくても良くなる、寿命というものが無くなる日が来るのでは、などと考えてしまいます。
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